ロシア5人組「ボロディン」
ロシア5人組「ボロディン」
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ボロディンのことは以前このコラムで紹介したけど、彼の本職は音楽家ではなく大学の先生だったよね。作曲は趣味で行っていて、彼自身、自分は日曜作曲家だと言っていたらしい。
それでも、作曲活動は時間の合間を縫って精力的にしていたらしいよ。
ボロディンが5人組と関わったのは、彼が29歳のときにバラキレフと出会うことで始まるんだけど、この時すでにアマチュアとして多くの室内楽の作曲経験があり、すでに強い個性を持つ音楽家だったそうだよ。
そんなボロディンも5人組の思想に大きく影響を受けると同時に、音楽的な技法もバラキレフらから多く刺激を受け、5人組に加わった後、交響曲や弦楽四重奏など多くの作品を作っているんだよ。
このボロディンが5人組の仲間入りする1年前にリムスキー=コルサコフが先に仲間入りしており、ボロディンが加入することで5人組の活躍は活発化し、約10年で最高潮を迎えることになるんだ。
でもその後は自然消滅していき、ボロディン自身も本職が多忙になり、彼が長年かけて制作していた「イーゴリ公」は未完のまま没してしまう。
リムスキー=コルサコフに関しては後述するのですが、ロシア5人組は思想としてロシア民俗文化を活発化させることだったのだが、やはり作曲家以外の活動や職業を見ると、政治的思想に大きく影響されていることはよく分かるよね。
この数十年後ロマノフ王朝はニコライ二世を最後に滅亡してしまうんだけど、地政学的にこのロシア5人組の存在は非常に興味深いと思うんだ。