ロシア5人組「ムソルグスキー」

ロシア5人組「ムソルグスキー」

ロシア5人組「ムソルグスキー」

2023/09/20

【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。



ムソルグスキーという作曲家はよく知られているから知っている人も多いはず。

有名な曲としては「展覧会の絵」があるよね。ただ、ムソルグスキーはピアノ曲として展覧会の絵を作ったんだ。だからオーケストラでよく聞く展覧会の絵は後にフランスの作曲家モーリス・ラベルがオーケストラ用にアレンジしたんだよ。


さて、ムソルグスキーも作曲家として知られていますが、実は本職は官吏として生計を立てていていたんだよ。だから作曲家としてはやはりアマチュアということになるんだよ。


バラキレフとはムソルグスキーが19歳のときに出会っていて、このときはバラキレフからベートヴェンなどのドイツ音楽を学んでいたんだ。

だから彼の初期の作品はロシア民族主義ではない作品が多かった。


ムソルグスキーはもともと大地主の子供として生まれているんだけど、この頃起きた奴隷解放政策で彼の家は大打撃をうけ、ムソルグスキーもなんとか食い止めようと頑張ったがそれは叶うことはなかったんだって。


こんなこともあり、バラキエフからの影響力から自由になり、ほとんど独学で音楽を学んでいた。同時に政治的には「リアリズム」という思想を持ち始め、社会の低層に興味を持ち始める。それがロシア民族的な思考へと進み始めるのである。


彼の20代後半の生活は決して楽ではなかったらしい。武官として勤めていたものの余剰人員として扱われてしまい、無報酬の時期が続くことになる。

そして音楽活動も、あの名作「禿山の一夜」の初稿を完成させるが、バラキレフから批判され演奏されることはなかったらしい。

このあたりのバラキレフとムソルグスキーの関係性は今ひとつわからないことが多く、事実だけ記載しておくね。


彼はその後、数々のオペラの作品なども手掛け、30代半ばに音楽家としての頂点を極めることとなるのですが、その後アルコール依存症となり、仕事はおぼつかなくなってしまう。転職を繰り返しながら作曲活動をつづけるが、友人たちは段々と彼から距離を置くようになってしまうんだ。


なんかこうやって書くとムソルグスキーと5人組の関係ってほとんどない感じがしますが、作曲をする思想的な部分で彼は非常に重要な役割をしていたんだと思う。それは、彼がロシアにおける大きな政治の流れに流されてししまったことで、彼の思想をはっきりと決定させたことにあると思う。


祖国に対する強い念が彼の作品からはよく感じられるよ。

あの展覧会の絵を聞いてもらえると、ロシア民族的な部分がよく理解できると思うよ。


Copyright © 2012 - 2024 GOIS Inc. All Rights Reserved.