先生に恵まれなかったチャイコフスキー
先生に恵まれなかったチャイコフスキー
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話は青年期の音楽院に進んだ頃に戻るんだけど、チャイコフスキーはこの音楽院でロシアの作曲家でピアニストでもあったルビンシュテインという人に師事するんだ。
この頃からチャイコフスキーは作曲家としての活動を本格化するんだけど、とにかくこの先生とはソリが合わなかった。
ルビンシュテインは作曲家でもあって、このコラムを書くにあたってルビンシュテインの曲を聞いてみたけど、綺麗な穏やかな曲を書く感じかな?1、2曲しか聞いていないのでなんとも言えないけど、もしかしたらチャイコフスキーの書く作風とは合わなかったかもしれないね。
さて、チャイコフスキーは過労になるぐらい苦しみながら交響曲第1番をこの時代に書き上げるんだけど、ルビンシュテインはには認められず、酷評されてしまうんだよね。その後もチャイコフスキーが作った曲をことごとくダメ出ししていくんだけど、その後事件が起こるんだ。
チャイコフスキーが30歳になった頃、あの名曲中の名曲「ピアノ協奏曲第1番」を作曲するんだよね。
当時の音楽としてはかなり難しく、先進的であったこの曲。やはりあのルビンシュテインは酷評するんだ、しかもこんな曲弾けるわけねーじゃん!音が多すぎる!演奏不可能!と切り捨てられてしまうんだ。
あの駄作映画「チャイコフスキー」でもこの部分は描写されており、ルビンシュテインが酷評し演奏不可能と言い切った曲を、チャイコフスキーが軽々弾いてしまい、関係者が驚きを嫌悪感を表したシーンをなぜか記憶しています。
さて、チャイコフスキーはこのピアノ協奏曲をドイツの大指揮者に贈ります。そして演奏会で演奏されるのですがそれは大成功し、聴衆から高い評価を得るのです。
それを聞いたルビンシュテインは批判してきた事を撤回するのですが、チャイコフスキーの才能を恐れていたのか?マウントか。
それ以降ルビンシュテインがチャイコフスキーを酷評することはなかったとの事です。
おっと!チャイコフスキーの話。まだまだあるんだよ。続きはまた今度