チャイコフスキーは同性愛者だった
チャイコフスキーは同性愛者だった
【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。
チャイコフスキーの青年期に、サンクトペテルブルクの法律学校に通い始めるんだけど、ここでの9年間で彼は同性愛に目覚めていくんです。で、これが彼を一生苦しめることになるんですね。
おそらく通っていた学校は男子校だったと推測されるのですが、そんな学校の中で同性愛的な行為は珍しくなく、一般的だったと言われています。
因みに私も高校は東京の男子校だったのですが、いたよ。普通に。同性愛。
柔道部の先輩と、アニメ部の同級生がよく一緒にいたのを見たし、噂はいくつかありましたね。
あと、ギリシャ時代なんかも同性愛は普通にあって、スパルタ人なんかは同性愛を利用して軍隊を強くしたなんて話も読んだことある。
でも、対外的にはどの時代も「認められない」ということもあり、それがバレないようにチャイコフスキーは苦労したんだよね。今なら全然問題ないのにね。
チャイコフスキーは37歳ぐらいに一度結婚しているんだけど。この頃はまだ同性愛者に対する理解がなく、チャイコフスキーは自身が同性愛者だという事が知られることをひどく恐れていたんだよ。そのために結婚すればバレないんじゃね?と考えていたんだ。
そんな時にアントニーナという女性から熱烈なファンレターというかラブレターをもらったんだよね。しかもかなりしつこく。
チャイコフスキーは断り続けたが、「会ってくれなきゃ死んじゃう!」って・・・。書かれたもんだから仕方なく会うことになったんだよね。
この時1度は振っているんだけど、同性愛者である事の隠れ蓑と、振ってしまったことへの自信の罪悪感が相まって、そのひと月後に結婚しちゃうんだ。早っ!
だけど、この結婚は悲惨なものでチャイコフスキーにとっては苦痛でしかなかったんだ。肉体関係は一度もなく、チャイコフスキーは精神的におかしくなり自殺未遂までしてしまい、妻の元から逃げてしまう。すでに発狂状態だったらしいよ。
チャイコフスキーは離婚をしようとしますが、アントニーナもなかなかな人で「会ってくれなきゃ死んじゃう!」って言うような人ですから、チャイコフスキーが逃げるように他の場所に引っ越ししても、その部屋の上の階にアントニーナも引っ越してくるような、すでにつきまといと言うか、ストーカー状態なわけです。
でも結局アントニーナに隠し子がいた事がわかりそれを理由に離婚できたんだけど、それからは一度も結婚する事はなかったんだって。だけど・・・続く