学校まで作っちゃったメンデルスゾーン
学校まで作っちゃったメンデルスゾーン
【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。
メンデルスゾーンは、その名声や地位を利用し、位の高い人との交流を深めていました。ある時、弁護士であったハインリヒ・ブルムナーが巨額の遺産を国に残したという情報を聞きつけ、ライプツィヒに後世の音楽家を育成するために音楽学校を作ろうと考え、行動に移します。そして3年後にはライプツィヒ音楽院を開校させてしまうのです。
しかも、メンデルスゾーンのこだわりは強く、音楽家の才能を伸ばすことに重視し、シューマンなどの一流の人物を教師に迎えることに成功します。
因みにこの頃、メンデルスゾーンは彼の最高傑作「夏の夜の夢」を作曲します。
この曲はみんな聞いたことあるかな?あの有名な結婚行進曲が入っている曲なんだけど、たぶん結婚行進曲はみんな知っているよね。この曲はシェクスピアの「夏の夜の夢」が元になっていて、12曲で構成されているんだよ。9番目の曲が「結婚行進曲」なんだ。
さて、このようにすべてのことで大活躍のメンデルスゾーンですが、30代半ばから、徐々に病気に侵されていきます。
それでも、積極的に各地で演奏活動を続けるのですが、38歳のときの10回目のイギリス訪問で健康を害ししてしまい、公演途中でドイツ、ベルリンへと戻ることになります。
体を壊したメンデルスゾーンが、ドイツへ戻る途中で、最愛の姉の死を知ることになります。
メンデルスゾーンと姉のファニーは本当に仲がよく、お互いを必要としていました。メンデルスゾーンにとって姉の存在は本当に大きく、作曲に関して相談をすることもあったそうです。また、メンデルスゾーンは妻もいたのですが、妻に送る手紙の数より、姉に送った手紙の数のほうが多いとも言われています。
その最愛の姉ファニーの死はメンデルスゾーンにとって想像を絶するぐらいのショックだったのでしょう。
姉が死んだその半年後、メンデルスゾーンは38歳の若さでこの世を去ってしまうのです。
メンデルスゾーンを語る上で、ものすごくたくさんの作曲家や有名人が登場するのですが、読みにくくなるため、できるだけ人名が出ないように書いてみました。
なので、若干ニュアンスと実態がそぐわない部分があることはお許しください。気になる方は自分で調べてね。
メンデルスゾーン:劇付随音楽《夏の夜の夢》
https://www.youtube.com/watch?v=0fY-ZjUSxy8